【富士山御中道】3年かけての一回り(OAA会報より抜粋)

山 名  富士山御中道T
山行日  2001年8月5日(日)
報告者(文)  古谷 旭さん
同行者  静岡OAA 山の仲間 
歩行時間  8時間30分(休憩含む)
コース  新五合目→六合目→大沢崩左岸→大滝→一の竹
山 名  富士山御中道U
山行日  2002年8月4日(日)
報告者(文)  山梨秋良さん
同行者  静岡OAA 山の仲間 
歩行時間  5時間35分(休憩含む)
コース  新五合目→六合目→宝永山肩→走り六合→須走登山路→八角堂→滝沢林道→五合目
山 名  富士山御中道V      アクセスカウンター
山行日  2003年8月3日(日)
報告者(文)  鈴木忠司さん
同行者  静岡OAA 山の仲間 
歩行時間  5時間50分(休憩含む)
コース  五合目→御庭→休泊所(大沢崩右岸)→大滝→上井出林道→養鶏所

  不二山はアイヌ語で火の山を意味する説などともかく、足利将軍が不二山に登る。実は関東地方を視察するのが目的であったが、以後有名になり信仰の山、江戸庶民の山となり富士登山が盛んになった。

  富士インターで合流し富士山スカイラインに入ると雲行きも怪しくなり小雨になるが、新五合目の駐車場に到着する頃には天気も回復し登山日和となる。9時45分新五合を後に六合目を過ぎ、賑わいの登山道から左手にトレースもない砂礫の中を進み、しばらく歩くと山小屋へ荷物を運ぶブル道に出る。地図で調べると御中道は現在位置より高所にあり、ブル道を登ると御中道の標識を発見して砂礫のトレースに入る。斜面にはオンタデの大群落が素晴らしい、青空に白いレーダードームも見える。

  やがてカラマツ、ダケカンバの林になり日差しも和らぎ歩き易い。天の浮橋だろうか雲切不動の辺りだろうか、大きく崩壊して上部に迂回路がしっかり出来ていて道なりに進むと通行止の標識あり、大沢崩の縁に出た。左岸を下る不鮮明なトレースを下ると本道に出た。

賑わいの登山道から静かなお中道へ

高捲き中の樹林帯

お願い看板

 いよいよ左岸下り開始。ツガ、シラビソの薄暗い樹林帯、高差2000m。下山道も心配していた程悪くなく一気に高度を下げブナ、コナラの落葉樹に変り15時40分大沢大滝に着く。大滝を借景に記念写真に収まり、沢を下山道に下る。同りの景色を見渡すと自然の猛威を改めて認識しながら高度を下げ、左岸の林道へ出る。辺りは杉、桧の林になり薄暗い登山路を最後の力を振り絞り、一路工事用道路のゲート前に待つバスヘ。18時20分到着。

そこには大きな看板に ″お願い 大沢の渡場は、崩壊が激しく絶えず落石があり、極めて危険です。勇気を出して引返して下さい″とあった。

大滝の前でひと休み

  日帰りのハイクで8時間半の長歩き、高差二千Mり下りはハードながら充実した楽しい一日でした。帰りの車中宴も忙しい。ここは富士宮市上井出で富士、静岡まで時間もないが、最後のがんばりの酒宴で、今日もほろ酔いで家路に着く。


  9時30分雲海の上富士宮新五合目に到着。多勢の登山者の間を抜けて宝永第一火口ヘと足を踏み入れる。想像以上の巨大なスケールの円形劇場を思わせる火口だ。蟻のような動きを見せる登山者の列が火口壁を登って行く、我々もその中の一員だ。十二薬師の向うに山頂が時々顔をのぞかせる。

  火口縁に出て一服、丁度富士登山駅伝の選手が猛然と駆け下りて行くのが見える。出発して間もなく赤池さんの読図で進路を上方修正し、御殿場口六合目から御中道へと入って行く。標高2800m程の高度を保ちつつ所々にある黄色のペイントを辿るが、全くトレースも無くなりオンタデを踏まないよう砂礫や熔岩の上を多少のアップダウンを繰り返し足を運ぶ。冬期の山頂測候所への補給ルートを示す鉄製の柵や避難小屋もある。11時30分霧の中で昼食をとる。落合さんのキュウリの漬物が食欲をそそる。

宝永第一火口へ

火口壁越に山頂を仰ぐ

富士登山駅伝ランナー

オンタデ群落地でひと休み
山頂の白いドームも見える

  須走口本六合目を横断ししばらくはトレースもあったが、やがて砂礫の中へと消えて足をとられながらも遅れまいと急ぐ。やがて潅木が現われ空沢を横切り、雨が降ると滝が出現する大きなガレをバックに記念撮影、こういう訳の分からない所では富山さん作の横断幕が生きてくる。

  この辺りから潅木と草の緑が多くなり踏跡もはっきりしてくる。満開のホタルプクロがあちらこちらから最敬礼をして我々を迎えてくれる。ベニバナイチヤクソウは多勢で背伸びをするように、クルマユリは一輪ずつひっそりと咲いている。13時50分吉田口登山道に合流、踏み出す足も安定しヤレヤレと思う。

  六合目から八角堂が見えたので下って行くが案外遠い。お参りしてから又元の道に戻る最後の直登120mはお仕置だった。15時歩行者天国並みのスバルライン登山口に到着。″富士山″という名前は一番だが、味はイマイチのビールで乾杯。

  今回の御中道は踏跡も定かでなくルート捜しも大変だったと思うが、富士山の広大な斜面を肌で感じる事が出来た。そして『御中道を歩かずして富士山を語ること勿れ』の先人の言葉に感じ入ると共に、信仰の道として賑わった往時をしのぶことの出来た一日でした。

大崩壊地で記念撮影

八角堂


  今年のお天気は異常で複雑だ。梅雨明けしたと見られると発表されてからもシラックラした空が続く。3日朝、空を見上げるとイイジャン、うれしくなった。今回は小御岳神社から御中道、大沢右岸ルートの下り、登りはほとんどなく下りで6時間半ばかりと勝手に解釈。思えば2年前の左岸ルートではバテてしまって、まったく足が出ず情けない思いをし、山行時間も8時間半と大型山行並みであった。

  富士スバルラインに入ると先行のバスより出る排気ガスで燻される。我々のバスも同じ穴の狢という人もいて面白い。御庭駐車場あたりより進まない、下ってくる車もない。交通整理員に人を下ろして帰るのみ、無線で聞いてくれと頼み暫く待つとOKが出て下り車繚を登って新五合の小御岳に下車。広場は車と人で大混雑。神社に安全祈願をして西へ御庭コースに入り10時35分出発。

小御岳神社で安全祈願

  歩きよい山道だ、森林帯の自然の草花に触れながらやがて眺めがパッと開ける。左方にくっきりと山頂を見せ、もう秋の気配を上空の空に見た。御庭の東屋で昼食の後御中道は滑沢より仏石流し、一番沢、二番沢、前沢とつなぎ12時28分大沢休泊所着。少し下って眼下に三の越あたりを見る。昔、富士講の行者さん達が大沢越えを“石の滝”と呼んで崩壊岩石の難をさける為、必死の思いをした場所であると、まことに一歩踏み外したら奈落行きだ。大沢は富士八百八沢の王者といわれている。

  右岸ルートに入って慎重に下って行く、林床はフカフカの所もあり、枯枝に足を取られそうになったり約1時間で大滝下の沢底が見えてきた。いつもながらの涸沢で小休止。心配は迎えのバスが林道のどの地点迄入っているのかだ。

  14時15分出発。沢底、堰堤端、コンクリート道を歩いて右岸の上井出林道に入る。風に吹かれてザクザクザクと靴音ばかり、言葉もなくただ前進のみ、うんざりする程の林道歩きだが空と周辺が見渡せない狭い森林帯より安心感があっていい。バスは見えない、もう目標は養鵜場のみ、臭覚を働かせていると鶏糞の臭気が風に乗ってきた今日ばかりは黄金の匂い、もう少しだ。五感の大切さを実感する。16時25分鉄柵で閉されたゲート前にバスが待っていた。富山さん持参の冷えたビールを頂いてヤレヤレ、ええハイクだった。

よく整備されている路

富士山頂を仰ぎ見る

大沢崩れ右岸下り

大滝前でひと休み:一昨年と同じ場所

renew:2013/09/04