【鳥海山】中高年27名、小雨降る残雪の中腹でビバーク

山 名 鳥海山
山行日  1996年6月21日(金)
同行者  OAA 27名
コース 吹浦口→御浜神社→七五三掛→千蛇谷→大物忌神社→新山→伏拝岳→鳥海高原ライン

 山の会に入会して1年近くになる頃、残雪たっぷりの鳥海山中腹で、小雨の中、一夜を明かす経験をした。まったく責任のない気楽な身、ビバーク中、寒さも空腹も、怖さもまったく感ずることなく、多少不謹慎だが、全員無事下山できたこともあり貴重な体験ができラッキーとさえ思えた山行だった。

 静岡市役所前を前夜9時出発、東名・東北道・山形道をひた走り、朝7時頃、遊佐町吹浦の十六羅漢岩で観光を兼ねた休憩をする。その昔、鳥海山の火口から日本海まで流れ出た溶岩に、明治元年、寛海和尚が、日本海の荒波で命を失った漁師諸霊の供養と海上安全を願って十六羅漢を刻んだものだそうだ。

吹浦口の雪渓を登る

大物忌神社

  避難小屋で昼食を済ませ、新山に向かう。巨岩が積み重なる急登を、岩に描かれたペンキの印を頼りによじ登る。切通しを抜け岩峰の山頂に立つ。視界はせいぜい数十メートル、狭い山頂で5・6人づつ登頂写真を撮り、早々に山頂を後にする。

  山頂の東を千蛇谷まで下り、しばらく外輪山に沿って雪渓を下り、登りやすそうなところから外輪山稜線に向かう。稜線上に雪は無く、しっかりした路がある。行者岳を越えしばらく西に進むと伏拝岳で湯の台口への路が左に分岐する。

  分岐からは一面の雪渓となる。雪面に立つ赤布をつけた竹竿を目印に大雪渓を快調に下る。倒れている竹竿も少なくないが、それらを立て直しながら下る。まもなく滝ノ小屋付近と思われる辺りになると赤布竿は流失したのかまったく見当たらず、ますますガスは濃くなる。やがて行く手に大きなクレパス(幅1.5m、長さ200m程か)が横たわっている。

鳥海山山頂(新山)

  すでにヘッドランプでの行動になっておりリーダーたちは、この時点でビバークを覚悟したようだ。やみくもに歩き回ったわけではないので疲労はないが、立ち止まると寒い。雪渓を登り返しビバーク適地を探すもなかなか27人もがビバークするところは見つからない。21時半過ぎになってようやく、尾根筋に岩がゴロゴロしたそこそこのスペースと風除けの穴もいくつかあるビバーク場所を確保する。

  数人ずつ穴に入りそれぞれにビバーク態勢をとる。リーダー格や私他数人は、穴に入れず小雨降る中、傘をさし、しゃがんだ姿勢でビバーク態勢をとる。幸い、山行時はいつもザックの底にセーターを入れている。この時は靴下の代えも持っていたので速乾性の下着も靴下も代え、シャツの上にセーターとヤッケ、そしてゴアテックの雨具を着てみるとまったく寒さは感じない。あれから10年、いつもザックの底にあるセーターだが以後、一度も使ったことはない。

  250mほど登り返し、東に向かって3度のヤブコギと、私の4本爪の軽アイゼンでは非常に緊張を強いられる2回の大雪渓トラバース後、再び標高1250m付近まで下降する。しかし、その先は雪渓が切れている。滝の上のようだ。

  15:30、滝ノ小屋と同標高辺りまで下った頃から迷走がはじまる。後日、雪渓コースは直接、林道に下るのを知ったのだが、その時は、夏道と同じと思い込み、標高1260m付近から林道目指して東に向かったのが間違いだったようだ。

  リーダーの指示に従い、横一列になって雪渓を登り返し、旗竿を探すも見当たらない。主だった者が地図、磁石、高度計で現在地を確認する。メンバー中もっとも山歩き経験の少ない私は、彼らの判断に従うだけだ。竹竿が見当たらないので仕方なく、クレパスを左に避けて下ることにする。

  見晴台から傾斜はゆるみ雪渓が現れる。七合目の御浜神社で象潟口からの路が合流する。大勢の高校生で賑やかしい。秋田の高校の全校登山で650人の生徒の喧騒の中を雪を踏みしめて進む。

  七五三掛で高校生は戻り、山は静けさを取り戻す。外輪山コースを右に分け、左の千蛇谷コースを行く。それまでの穏やかさが一変し、険しい様相となる。アイゼンをつけ谷へと下り、外輪山火口壁からの落石が目立つ雪渓を登る。雨はしだいに強くなり、視界の利かない中、急坂をあえぎながら登り大物忌神社に到着する。

  十六羅漢を発ち、鳥海ブルーラインで吹浦登山口に8時頃到着する。小雨模様だが高曇りで視界はある。バスを降りてすぐに出発、階段を上り続いてコンクリート道、けっこうな急坂である。このコース最大の難所 伝石坂だそうだ。見晴台で一呼吸入れる。

新山から千蛇谷に下りた辺り

  ほとんどまどろむこともないまま空が白みだす。4時頃から準備をはじめ十分身体をほぐした後、4:30 行動開始。昨日のルートを戻るようにヤブコギ3回、大雪渓のトラバース2回ほどで6時半頃、見覚えのある地点に戻り着く。ちょうどその頃、ラジオのニュースで捜索活動が開始されたことを知る。

  迷走中もビバーク態勢をとったあとも、リーダーは何度も「なんでもいいから食べろ」と叫ぶ。寒さに空腹は大敵なのだそうだ。飴玉が2回ほど回されてきた。飴玉1個のありがたさを知る。深夜になってラジオで、捜索体制がとられたと聞く。まったく切迫感のない私は、なにげなく聞き流してしまったが、これを聞いて安堵したメンバーは少なくなかったようだ。

  人心地ついてみると、まったく責任のない私は、あまりにも非日常の事態に興味津々となっているのに気づく。“盲、蛇に怖じず”なのだろう。

  途中、マスコミ関係の方々が大勢待ち構えている。われわれを見つけるやさっそく取材合戦、リーダーや責任あるメンバーは仕方ないとしてもわれわれは、できるだけ避けようと一団となって下り続ける。しつこく取材されるも、みな予想外に元気で、ほどなくして彼らを振り切る。しかし、待機しているバスの入り口に5・6社のテレビカメラが待ち構えている。みな、雨具の襟を立てたり、帽子を深々とかぶり直しうつむき加減にバスに向かう。私は、悪いことをしたわけでなし、コソコソするのは嫌だとばかりにそのままバスに向かい、後悔する羽目になる。

  やがて、呼子に応えるように人の呼び声が聞こえた。林道が見えていたとはいえ、捜索隊に出会えると思うとうれしさがこみ上げてくる。8時頃、捜索隊の一人と出会う。昨夜、宿泊予定の鳥海山荘のご主人だそうだ。無線連絡で結集した捜索隊十数名の方々に誘導され雪に埋まった林道を下る。

  リーダーは躊躇することなく、そのまま南西方向に歩を進める。再び、雪渓を渡り、ヤブコギするころから呼子を吹き鳴らし、大声を出しながらすすむ。右やや下方、1000mほどの辺りに林道が見えた時、「これで大丈夫」と、胸をなで下ろす。

前方に見える林道目指して

行 程
場 所 着時刻 発時刻
 吹浦口 7:55 8:00
 御浜神社 10:05 10:15
 大物忌神社 12:00 12:40
 鳥海山(新山) 13:00 13:05
 伏拝岳 14:00
 滝ノ小屋と同標高 15:30
 ビバーク 21:45 4:30
 捜索隊員と出会う 8:00
 林道出合 8:25
 バス乗車 9:30 9:50

  大半が50代、60代の大パーティーが怪我ひとつなく全員無事バスに乗り込む。捜索本部が設けられた鳥海山荘は、マスコミ関係者でごった返していて中に入れないほどだ。中高年27人の遭難騒ぎが如何に衝撃的なものか改めて認識する。メンバー全員の身元確認の後、入浴そして朝食とも昼食ともつかない食事を頂く。

  その姿が全国放送されてしまったようだ。自宅には、早朝4時過ぎから電話によるマスコミの取材に加え、親戚や友人からの電話もかかってきてしまったとのこと。

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1/2.5万図 ▼鳥海山 [南西]
地名(かな) 象潟:きさがた    吹浦:ふくら    七五三掛:しめかけ
大物忌神社:おおものいみじんじゃ  伏拝岳:ふしおがみだけ
新聞記事 1996/06/23 朝日新聞