会報No. | 94 | 山行日 | 1995年12月3日 |
シリーズ名 | 第92回 富嶽百景 | 報告者 | 岩崎正勝さん |
山 名 | 宮地山〜大垈山 | HP管理人 | 参加 |
山行記 | “大烏山からの生還”又は“大烏山症候群”からか、尚チャン(リーダー)はいつもと違う。大月市猿橋から139号線に入って、地図を見ながら奈良子への道を通り過ぎてしまう。戻って細い車道へ入ってすぐにバスから一人降り、本日の宮地山の登り口を尋ねている。それも豆拾いをしている八十過ぎのおじいさんに。ほとんど分らなかったらしいがそこで降りた。 農家の庭先が道路ですぐに用沢川を渡って、「製材所の横を………」と『甲斐の山』 の本に書いてあったガイドを空んじて、横と云うより中を横切って、その裏の薬師堂の左手を………尾根筋を捕えてひたすらに登る。ここまでくればもらったようなものだ。木々はほとんど葉を落し快適な落葉の踏跡をたどり、さほど苦もなく宮地山に着く。 ちょっと急な稜線を下るとショウジ峠らしき所へ出たが、木に付けた紙に書かれた案内板があって分らなくなった。しかし稜線確保で小さなアップダウンを歩きながら「昨日か今日、人が歩いている」と云っていた通り前に3人のオバちゃんがいた。聞けば東京からで 「よくもたくさんでこんな所へ、私たちヤブ山歩きをやっているの、先月は大烏山へ行ってきたの」と云う。「あの徳和からの大烏山ですか」と思わず念を押してしまい 「僕らも10月に行ってきましたハハハハ」と笑ってごまかした。 ひたすら稜線確保でセイメイバンへの分岐にザックを置き、快適な落葉の尾根を大岱(おおぬた)山へ。雑木の枯れ枝越しに雁ヶ腹摺山が大きく見える。戻って分岐から落葉をけとばしながら足まかせに下る。時折尾根の分れで地図をにらんでセイメイバンヘ。踏跡程度の道を左へ左へルートをとって、直角に左へ入る踏跡があり、そこにビニールテープ等あってそろそろ降りようとうながされる。急下降の踏跡の先にテレビの共同アンテナがあって、それ沿いに下ると林集落に出た。車道をしばらく行くとバスの待つ今朝降りた所。豆拾いのおじいさんも最後のかたづけをしていた。 さて本日は今年最後の富嶽、いわゆる忘年山行。と云えば温泉は絶対欠かせない、以前利用した松姫鉱泉へ。玄関に入ると誰もいないが受付は尚チャンに任せて浴場へ、中を覗くと湯気が立っている。大急ぎで服を脱ぎ一番風呂、先ず“身体を洗うこれ常識だ”がちょっとぬるい。湯船に入ると上2〜3センチが湯で下はミズ。水と云っても沢水の冷たさで、これは玉らない。そこで阿部さんが「ウソだろう」と入ってくる。「オイ、オイかき回わすな」と騒いでいると粂田さんが着衣のまま覗きにきて、二人の股間を見て事情を察し皆に知らせる。連絡はしてあったのだが、担当者が忘れたと宿のお親父さんがどこからか出てきた。結局縮み上がったままバスの中で笑い者。アルコールで中から暖めろとビールの支給があったが、飲めない私の玉は下がってこなかった。 |
宮地山山頂
セイメイバン山頂
大垈山山頂
更新日:2013/08/23