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静岡OAA会報より抜粋

会報No. 92 山行日 1995年10月8日
シリーズ名 第90回 富嶽百景 報告者 植中 整さん
山 名 大丸戸〜大烏山 HP管理人 参加
山行記  「雨はどうでしょうかネ……」という会話を乗せて定刻、参加者16名のバスは出た。ひどい降りではないがワイパーは休みなくバスの窓を拭く。今日の富嶽は徳和川を境に乾徳山と対峙する烏ノ尾根山群、大烏山〜東御殿〜大久保山の縦走、オマケが笛吹の湯温泉である。
 「15時には下山予定」とドライバーと打ち合わせ、10時45分徳和渓谷の標識を左手に水量を増し岩を噛む白い水牙の徳和川沿いを遡上する。11時40分、樹木に打ちつけられた大烏山への小さな指標を見る、登山道口だ。リーダーにホッとした表情を感じたのは私だけだろうか。それから13時間15分の苦闘を誰が予想しただろう。 

 風邪気味の不調を訴える富山さんを励まし再び登りにかかる。12時15分昼食は雨中の立食、あと300mの登りだ……、リーダーの合図で熊笹に覆われ定かでない路を模索しながら登る。そのうち沢登りとなるが登れども一向に水量が減ってこない、尾根は先のようだ。背丈程の笹をかき分け14時30分熊笹に覆われた尾根の広場に出るも時間の掛り過ぎだ。右手になおも高所を求め登りつめると、大烏山の標識もない。標高は1782mの筈だが高度計は2200mを上回わっている、低気圧のせいだろう……その時は疑問を抱かなかった。しかし帰宅後地図を見ると大烏山の北北西3K程に位置する大丸戸2234mだったようだ。

 ともあれ記念撮影を済ませ笹に覆われ、倒木、石、窪みの障害物に足元注意の声を後続者に送り南下の尾根上に大烏山への指標を見た、間違いは決定的だ。雨の秋の夕刻、陽の落ちるのは早い……「電灯を持つている者は」……半数程のようだ。電灯必須の状態となる。ルートを模索しながら18時、陽はとっぶり暮れた。大烏山と思しき山頂に立ったが誰も確認せず先を急ぐ、下って鞍郡からもう一登り。19時、三角点を見る、そこに“馬止根場”の現在地を確認、再びバックして大烏山との鞍部から下るが、下山道はなし。雨中熊笹をかき分け路なき路の暗夜行路となる。苔と雨に濡れた倒木と石に足をとられ悪戦苦闘、やがて沢に出て渡渉、高捲きもしばしば、22時過ぎやっと往きに通った山路に出る。気力の下山行が続く。23時30分、全員無事下山したが縦走は果せず朝の登山口へ下山、山中徘徊の一日だった。

 バスを迎えに林道を走ったのは岩さんだった。まもなく午前零時になる、安堵の頬を綾め帰路につく。13時間15分は貴重な再び経験したくない体験だった。この間、不安の内に長い時間私達を待っていてくれたドライバーに深甚の感謝を送りたい。
 最後に老いの一言。電灯は非常用である、非常用は使わないにこしたことはない、しかし必携品である。スペア電池も照度と持続性の高い、『アルカリ電池』が望ましい。ハイテク化と設備の向上の今、通用しないだろうが、遠洋漁船は接岸するまで″真水″の使用に制限があったと聞く、それが非常の備えだ。

大丸戸山頂(多分?)

更新日:2013/08/23