江戸城・神田・湯島界隈の史跡巡り

シリーズ  駅からハイキング     
コース名  江戸城ゆかりの史跡巡り
歩行日:期間  2016年11月26日(土): 11/17〜11/27
起点駅  JR山手線 有楽町駅→御茶ノ水駅
歩行距離・時間  11Km :  3時間30分

@:南町奉行所跡

 時代劇でおなじみの大岡越前守などが職務を執り行った江戸幕府の南町奉行所の跡。JR有楽町駅中央口前の広場に、発掘調査により出土した石組みが再現され「南町奉行所跡」プレートが掲示されている。また、この広場の地下広場には遺跡発掘で発見された、奉行所地下室の「穴蔵」と江戸時代の水道管(木樋)が展示されている。

「南町奉行所跡」プレートと出土した石組み
A:日比谷公園

 日比谷公園は江戸城日比谷御門のすぐ外に位置し、江戸時代にはそうそうたる大藩の上屋敷が置かれていた。明治になると大名屋敷が廃されて更地となり日比谷ヶ原と呼ばれ、陸軍操練所が設置され明治18年(1885) に日比谷練兵場と改称された。
 園内には大小の花壇があり、四季折々の花と緑が都市生活者の目を楽しませている。 また、胸像や石碑、南極の石など各種の記念碑・物が寄贈され、園内各所に設置されている。

江戸城日比谷御門の石垣上より心字池

クロマツの点在する大芝生広場
B:皇居外苑

 昭和24年(1949)、旧皇室苑地の一部が国民公園として開放されたもの。クロマツの点在する大芝生広場と江戸城のたたずまいを残す歴史的建造物が調和している。

二重橋濠に架かる二重橋と奥に伏見櫓

桔梗濠と巽櫓。左奥に富士見櫓
C:皇居東御苑

 江戸城の本丸、二の丸、三の丸があった場所。鉄砲百人組が昼夜交替で詰めた「百人番所」、明暦の大火で焼失後に天守の代わりをした「富士見櫓」などが点在。
  三代将軍家光の代に、国内で最も大きな天守閣が完成したが19年後の1657年、明暦の大火(振袖火事)で全焼、以後再建されなかった。

大手門

江戸城天守台

北桔橋門

北の丸公園入口
D:北の丸公園
  江戸城の北の丸があった場所で、江戸や明治時代の歴史的遺構が点在する公園。園内には科学技術館や国立公文書館など文化施設も併設。歴史と文化、緑豊かな自然の森として親しまれ様々な昆虫や樹木が生息する森林公園。

E:マーチエキュート神田万世橋
  中央線神田駅〜御茶ノ水駅間にあった、赤レンガ造りの旧万世橋駅の遺構を利用した商業施設。

昌平橋より旧万世橋駅遺構、左奥に万世橋

遺構の赤レンガを利用した商業施設
F:湯島天満宮(湯島天神)
 学問の神様として菅原道真を祀り、「湯島天神」の通称で広く知られている。徳川家の崇敬を受け、多くの学者・文人が参詣した。歌川広重の『名所江戸百景』にも描かれている。
G:霊雲寺
 元禄四年(1691)、五代将軍徳川綱吉の篤い信任を得た浄厳和尚が幕府の祈願所として創建。
H:神田明神
  天平二年(730)創建と伝わる古社で、東京を代表する「神田祭」でも知られる。平将門の乱後、将門塚周辺(現在の大手町)で天地異変が頻発したため、将門の御霊を奉祀。関ヶ原の戦いの前には徳川家康が戦勝祈願を行った。江戸時代より神田・秋葉原・大手町・日本橋など108町会の総氏神である。

湯島天満宮(湯島天神)

霊雲寺

神田明神

湯島聖堂 仰高門
I:湯島聖堂
  五代将軍徳川綱吉が儒学の振興をはかるために孔子廟として元禄三年(1690)に創建、上野忍岡の林羅山の邸内にあった廟殿と家塾を移したのが始まり。その後、幕府直轄の昌平坂学問所が開設された。「日本の学校教育発祥の地」の掲示がある。
  孔子銅像は、昭和50年(1975)中華民国台北市 ライオンズ・クラブから寄贈されたもので、丈高4.6m、重量1.5t世界最大の孔子像である。

孔子銅像

湯島聖堂 大成殿(孔子廟)
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