明治十一年(1878)、明治天皇が北陸・東海方面へご巡幸の際にお立ち寄りされた「明治天皇駐輦址」の記念碑。駐輦(ちゅうれん):“輦”は天子の乗り物、天子が行幸の途中で車を停めること。 明治天皇記念碑 |
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A:東曜寺 東曜寺は“間の宿吹上”の中心部にあり、門前は中山道と八王子千人同心街道が重複していて立場・本陣・宿屋・料理茶屋などが軒を連ねていた。 八王子千人同心街道:江戸時代に八王子千人同心が日光勤番のために整備した八王子から日光へ至る、40里(約160km)の脇往還に属する街道である。沿道では日光道などと呼ばれていたが、日光街道と区別するために千人同心街道、日光火の番街道、八王子街道、館林道、日光脇街道などとも呼ばれた。 |
東曜寺 |
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権八地蔵 |
B:権八地蔵 東曜寺を後にし、踏切を渡ってしばらく行くと熊谷堤に出る。江戸時代、中山道はだいたいこの辺りから土手に出ていたそうだ。土手の手前に小さな地蔵堂がある。堂には《権八延命地蔵》別名《権八ものいい地蔵》が安置されている。歌舞伎《鈴ヶ森》の白井権八(本名:平井権八)にまつわる地蔵である。 |
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C:榎戸堰公園 熊谷市久下より流れてきた元荒川の最初の堰で、肥沃な水田を昔から支えてきた。江戸時代に造られ、明治三六年の大工事により現在の姿になった。ここに架かる橋が@の新宿橋で以後、吹上地域を8km流れ、元荒川沿いに17の橋を巡る。 |
榎戸堰公園 |
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B洲崎橋:昔ながらの古い橋 |
D:橋めぐり @新宿(シンシュク)橋、A鉄橋(JR高崎線)、B洲崎橋、C榛名橋、D吹上橋、E新佐賀橋、F佐賀橋、G桜橋、H新宿(アラジュク)橋、I高砂橋、J水鳥橋、K遠所橋、L筑波橋、M砂山橋、N小谷橋、O元荒川橋、Pアサヒ橋 |
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E新佐賀橋:土木学会選奨土木遺産 |
G桜橋:元荒川桜並木の中心部に架かる |
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H新宿(アラシュク)橋:吹上駅〜行田市結ぶ産業道路 |
I高砂橋:四隅の親柱は燈籠をイメージ |
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J水鳥橋:欄干に擬宝珠 |
K遠所橋:昔は遠い場所だったようだ |
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○:三嶋神社古墳 埼玉県鴻巣市にある前方後円墳。墳頂に三嶋神社が建立され、墳丘は変形を受けている。1875年(明治8年)に地元民により後円部から横穴式石室が掘り出されたと伝えられ、社殿の前に敷かれた緑泥片岩は石室天井石と思われる。1959年(昭和34年)吹上町の指定史跡に選定された。 |
三嶋神社 |
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観音寺の庚申塔群 |
○:観音寺の庚申塔群 庚申信仰は室町時代に広く行われ、江戸時代に最も盛んになり各地に数多くの庚申講が組織された。 庚申信仰が廃れるにしたがって各所で祀られていた庚申塔は、地域の寺などに集められるようになった。この観音寺の庚申塔群もそのひとつである。寛文三年(1663)の銘が彫られた庚申塔が、このなかではもっとも古いものである。 |
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E:荒川コスモス畑 荒川河川敷の約6.3haのコスモス畑。約1000万本のコスモスが一面に広がる。 コスモス畑から吹上駅に戻る途中、交差点の四隅に柱を設けた送電線の鉄塔が珍しかった。 |
荒川コスモス畑 |
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コスモス畑の背後に日本一長く赤いアーチの水管橋 |
交差点に鉄塔 |
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