○:目白駅 山手線電車のみが停車し、それ以外の列車は通過する。日本で初めて橋上駅舎を採用した駅として知られる。2015年度の1日平均乗車人員は38,008人、山手線の駅では鶯谷駅に次いで2番目に利用客が少ない。 @:切手の博物館 日本及び外国切手を約36万種、封筒類1.5万枚、図書約1万冊などを収容する、国内でも珍しい郵便切手の博物館。 |
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目白駅 |
切手の博物館 |
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神田川 |
A:神田川 荒川水系の支流。江戸川橋駅から早稲田方面に約2km続く桜並木は都内有数のお花見スポットとして知られている。面影橋付近には「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだに無きぞ悲しき」の“山吹の里”碑が立っている。太田道灌が蓑を借りようとした農家はこの辺りだったのだろう。 |
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都電 早稲田駅 |
「山吹之里」碑 |
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○:新江戸川公園 都電早稲田電停を降りてすぐ。旧熊本藩主細川家の下屋敷跡だったため、園内はまるで庭園のよう。見どころは、中央にある回遊式池の水面に映る景色。 B:東京カテドラル聖マリア大聖堂 毎日ミサを行い、気軽にキリスト教に触れることのできる教会。丹下健三設計による大聖堂は8面のコンクリート壁が起立した幾何学的な構造で、天井は大十字架をかたどっている。 |
新江戸川公園入口 |
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新江戸川公園 |
東京カテドラル聖マリア大聖堂 |
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清土鬼子母神 |
C:清土鬼子母神(吉祥天) 雑司ヶ谷の鬼子母神尊像が出土した地。鬼子母神の娘神である吉祥天を祀る。鬼子母神御会式は、享和・文化文政の頃から日蓮上人の忌日を中心とした、毎年10月16日から18日に行われている伝統行事で、白い和紙の花を一面に付けた、高さ3〜4mの万灯を掲げて、団扇太鼓を叩きながら鬼子母神まで練り歩く。 D:清立院(毘沙門天) 村を疫病から救った僧侶が日蓮聖人像を寺に残したことが寺名の由来。雨乞いと皮膚病の祈願寺として尊崇されてきた。木彫毘沙門天像は区登録の文化財。 |
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吉祥天 |
御会式 和紙の花 |
毘沙門天 |
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E:大鳥神社(恵比寿神) 正徳二年(1712) に出雲国藩主松平氏により、出雲大社摂社の鷲大明神の御分霊が鬼子母神境内に祀られたが、神仏分離令に伴い現在の地に遷座された。恵比寿神は遷座に伴い行方知らずになってしまったが、“雑司ヶ谷七福神”創設に伴い再び祀られるようになった。 |
大鳥神社鳥居 |
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大鳥神社本殿 |
恵比寿神 |
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雑司ヶ谷案内処 |
F:雑司ヶ谷案内処 地元の観光情報を提供し、郷土玩具の「すすきみみずく」なども展示販売。二階は地域ゆかりの絵画や写真を展示するギャラリー。 G:鬼子母神(大黒天) 安産・子育てにご利益のある鬼子母神を祀るお堂。毎年10月16〜18日には大祭御会式が行われる。地域住民が、白い和紙の花を一面に付けた高さ3〜4mの万灯を掲げて団扇太鼓を叩きながら、池袋駅前などから鬼子母神まで練り歩く。 境内には樹齢600年以上の大銀杏が聳えている。 |
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鬼子母神 |
樹齢600年以上の大銀杏 |
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H:観静院(弁財天) 加藤清正が供奉(ぐぶ)した尊像をご神体とする寺。清正はそのご加護により文禄・慶長の役を全うした。弁財天は境内に入ってすぐのところにある。 I:中野ビル(布袋尊) 大正六年(1917)から「中野石材商店」の店頭で池袋の歴史を見守り続けてきた布袋尊。「中野ビル」となった現在も、ビル前に鎮座し地域住民のシンボルとして親しまれているそうだ。 |
観静院 |
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弁財天 |
布袋尊(中野ビル) |
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仙行寺 |
J:仙行寺(華の福禄寿) 明治四一年(1908)に建立された本堂が都会のビル群の中で異彩を放つ。福禄寿はコンクリート打ちっぱなしの洒落た堂宇に安置されており、通常長い頭で表現される姿とは異なり、彩色や彫りと共に愛らしい雰囲気を醸している。 |
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K:自由学園明日館 大正十年(1921)、自由学園の校舎として、帝国ホテル設計者のライト氏の設計により建設された。平成九年(1997)に国の重要文化財の指定を受けた。 L:目白庭園 目白の閑静な住宅街にある本格的な日本庭園。池を回遊する園路の随所で自然の造形美に出合える。池の南側に築かれた石垣の上には数寄屋建築の「赤鳥庵」が建つ。 |
自由学園明日館 |
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目白庭園 |
赤鳥庵 |
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