@:与野中央公園 さいたま市中央区を南北に貫く中央通り沿いに位置するテニスコートで4面のコートがあり、管理棟に更衣室、トイレ及びシャワーが完備されていえう。公園内には20台収容の駐車場、多目的広場および児童用遊具も設置されている。 |
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与野中央公園入口 |
与野中央公園 |
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A:与野の大カヤ(国指定天然記念物) 国指定の天然記念物、日本三大榧の一本で《新日本名木百選(1990年制定)》にも選ばれている。JR埼京線 南与野近くの住宅街にあり、ひときわ高くそびえたつ姿は、電車からも目にすることができる。妙行寺縁起では、平安時代中期の長元年間(1028-1037)に植えたものと伝えられ、応永年間(1394-1427)には、関東随一の巨木として世に知られていたそうだ。 |
与野の大カヤ |
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与野の大カヤ全景 |
妙行寺のモッコク |
○:妙行寺のモッコク(埼玉県指定天然記念物) 妙行寺本堂の裏に回るとボリュームたっぷり葉をつけた木斛が目に入る。葉は旺盛に茂るものの樹皮はかなり傷んでいる。反対側は、枝葉が全く見られずすでに枯れ死しているように見える。 |
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B:妙行寺 創建年代は不詳ながら、鎌倉時代に臨済宗東栄山心浄寺として創建、応永十五年(1408)に日英上人が日蓮宗に改めて開山、慶安二年寺領10石の御朱印状を拝領した。 C:鈴谷大堂(与野七福神:毘沙門天) 数段の石段を上ると左に寛文七年(1667)造立の六地蔵が迎えてくれる。正面の本堂は、嘉永二年(1849)の再建。堂内に小さな木造毘沙門天像が祀られている。 ○:鈴谷天神社 創建年代等は不詳だが、元禄十一年(1698)の「武州足立郡鈴谷村田畑水帳」に記載があり、江戸時代中期には創建されていたようだ。 |
妙行寺鐘楼と本堂 |
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鈴谷大堂 |
鈴谷天神社 |
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彩の国さいたま芸術劇場 |
D:彩の国さいたま芸術劇場 建築家の香山壽夫が設計。地下2階・地上4階建てで1994年完成。約2000人収容でき、大・小ホール、音楽ホール、映像ホールが備わっている。埼玉県芸術文化振興財団の芸術監督を務めた蜷川幸雄が手がける演劇公演が数多く上演された。 ○:手形レリーフ さいたま芸術劇場の最寄り駅である与野本町駅から劇場までの道のりをアートストリートと呼ぶ。その道に面し、劇場ゆかりの著名人の手形レリーフが並べられている。蜷川幸雄、平幹二朗、大竹しのぶ等々。 |
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手形レリーフ |
彩の国さいたま芸術劇場 |
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E:円福寺(与野七福神:布袋尊) 山門前の右手に、石造りの布袋様が鎮座している。室町時代以来の古寺である。正面の本堂内にも鋳造の布袋様が安置されている。 |
円福寺山門 |
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与野公園 |
F:与野公園 与野公園は広さ約5.1ha。埼京線「与野本町駅」西口から歩いて8分程度の距離で、大きなお寺(円乗院)の裏手にある。公園奥にあるバラ園のすぐ隣りに新大宮バイパスと、その上に高架橋で首都高速埼玉大宮線が走っている。江戸時代からかなり知られた公園だったそうで、明治十年には、県下で3番目の公園として定められ現在は、埼玉自然100選にも選ばれている。 |
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G:与野天祖神社(与野七福神:寿老神) 創建年代は不詳だが、文政年間(1818-1830)の「与野町並絵図」に「神明山」と記載があり、江戸時代末期には祀られていたと推察できる。明治八年天祖神社として与野町の村社に列格した。 |
与野天祖神社 |
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与野御嶽社 |
H:与野御嶽社(与野七福神:弁財天) 御嶽講の四大講祖の一人である一心行者を支援していた名主の伊原平八が、明治初年前後に創建したと伝えられる。与野は江戸時代から木曾御嶽講の盛んな地域であったが、文政四年(1821) 幕府は御嶽講に禁圧を加え、一心行者は遠島に処せられた。後に、尾張藩主の取り計らいによって、御嶽講は解禁された。 |
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○:円乗院(与野七福神:大黒天) 建久年間(1190?1199)畠山重忠によって創建され、慶長年間(1596?1615)に現在地に移建したと伝わる名刹で、与野七福神のひとつ大黒天も祀られている。 |
円乗院 |
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