鋳物で栄えたまち川口をめぐる

歩行日:期間  2016年5月21日(土): 5/14〜5/23
起点駅  JR京浜東北線 川口駅
歩行距離・時間  6Km : 3時間(見学時間含む)
@:キュポ・ラ広場
 川口駅東口の公共広場で約3,000m2、周囲には樹木を植栽するとともに、休憩ベンチやモニュメントを設置するなど、憩いと集いの場を提供している。また、中央には各種イベントが開催できるスペースもある。
A:川口神社

 創建の由緒記録は失われており不明であるが、社伝では天慶年間(938〜947)に創建されたと伝える。当初は氷川社と称した。明治6年に村社に列格し、後に川口町内の天神社・稲荷社3社・金山社を合祀して社名を川口神社に改めた。昭和10年、川口市の総鎮守として県社に昇格した。

川口神社鳥居

川口神社門

川口神社拝殿

母子・父子福祉センター屋内
B母子・父子福祉センター

  母子家庭、父子家庭や寡婦の方への各種相談、生活指導、技能の習得を行うなど、母子家庭等の方の自立と生活の安定向上を図ることを目的とした施設である。

 建物は、旧鋳物問屋「鍋平」別邸として4代目嶋崎平五郎が西洋文化の風情を取り入れて建築したものだが、「再現することが容易でない建造物」として、平成13年文化財保護法に基づき、主屋・離れ・蔵が登録有形文化財として登録された。
C:18ポンドカノン砲
  この大砲は幕末の嘉永五年(1852)に津軽藩の依頼により、川口の鋳物師と、後の砲術奉行となった高島秋帆とが協力して、当時不可能とされていた大型砲の鋳造を可能にした。
○:旧川口宿本陣表門
 代々川口宿の本陣をつとめた永瀬家の門として現存。川口宿の主要な業務は江戸と鳩ヶ谷宿への人馬継立で、常に馬役と人足役の用意が必要とされた。今は奥まった場所だが、当時は御成道に面していた。
D:川口市立文化財センター
 川口市内の発掘調査の出土品や鋳物業に関する資料、獅子舞などの民俗芸能や歴史的建造物など、文化財の収集・保管・展示を行っている。展示室では縄文式土器や鋳物製品や民具などが展示されている。

大砲

旧川口宿本陣表門

川口市立文化財センター

錫杖寺本殿
E:錫杖寺

  徳川将軍日光社参の際の御休所として指定され、2代将軍秀忠以降、歴代の将軍が昼食を取った記録が残っている。葵の御紋の使用が許され、瓦など随所に三葉葵を見ることができる。晩年を川口で過ごした最後の大奥筆頭御年寄・瀧山の墓がある。
F:旧田中家住宅

  味噌の醸造業と材木商で財を成した田中徳兵衛家が、大正十二年(1923)に建築した洋館と昭和九年(1934)に増築された和館から構成されている。国登録有形文化財に指定され、現在は市の施設として公開・活用されている。

旧田中家住宅

G:昌國利器工匠具博物館
  館内には、盆栽の手入れ道具や大工道具から医療器具、理容鋏や剃刀、バリカンなど約3500点の刃物が展示されている。

○:薬林寺(岡の薬師)
 本尊は阿弥陀如来。開山は寛正元年(1460)。山門近くに位置する庚申像は、長く人々の信仰を集め、鼻も口も分からなくなるほど顔がすり減っている。境内には十一面観音を安置する観音堂などがある。

薬林寺山門と観音堂(朱塗り)

薬林寺の「岡の薬師」と称される薬師堂
○:朝日氷川神社

 創建は約500年前。大正十二年(1923)、関東大震災で社殿が倒壊するも、昭和十三年(1938)に再建。 その後、老朽化した建物のすべてを「平成の大造営」と称し、平成十五年(2003)に新社殿・社務所が完成した。

氷川神社鳥居と奥に本殿

拝殿の左に境内社の鳥居が並んでいる。

本殿の後ろの御神木

アートギャラリー・アトリア
H:川口市立アートギャラリー・アトリア

  大正十四年(2002)、創業のサッポロビール埼玉工場が平成十五年(2003)に閉鎖されその工場跡地の一角に同社から建物の寄贈を受け、川口市立アートギャラリー・アトリアが誕生し、「ものづくりのまち」におけるアート活動の拠点となった。

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