八重桜と天平文化の歴史探訪

シリーズ  駅からハイキング  前   
コース名  八重桜と天平文化の歴史探訪
歩行日:期間  2016年4月30日(土): 4/12〜4/30
 2015年4月16日(木): 4/10〜4/30
起点駅  JR宇都宮線 小金井駅
歩行距離・時間  13Km :  5時間30分
@:日酸公園
 小金井駅の北西約500mにある日酸公園には、国鉄型事業用車が静態保存されている。正式名は「救援制御電動自動車クモエ21001号」といい、昭和二年(1927)に製造され昭和六二年(1987)引退するまで事故や故障などで動けなくなった電車の救援に従事した。その間に走った距離は、地球と月を4往復半にもなるそうだ。東隣には小山用水親水公園もある。

日酸公園

日酸公園に隣接する小山用水親水公園

救援制御電動自動車クモエ21001号

久保公園
A久保公園(北台遺跡)
  平成十三年(2001)、奈良・平安時代の幹線道路である東山道跡を復元、整備した公園である。

B:御使者橋、姿亭
  姿亭縁起(解説板より)
 江戸の昔、徳川幕府や壬生藩主鳥居公の使者が往来したので、御使者橋と呼ぶ。姿川にかかる。近くに御用宿(ごようやど)なる屋号の家あり。平成3年(1991)誇れるまちづくりの名所として姿亭を建て百日紅(さるすべり)を飾る。川を越えれば、花の下野国分寺跡まで1キロあまりなり。人生は明るく楽しく、急ぐべからずあせるべからず。  国分寺町

御使者橋

姿亭
  御使者橋を渡りしばらく行くと右手木立の中に薬師堂、その少し先の左手に四阿のある休憩所・あかね亭を経てしばらく行くと、下野国分尼寺跡から天平の丘公園となる。

木立の中の薬師堂

あかね亭

下野国分尼寺跡

滝桜実生桜(2015/4/16)

八重桜(2015/4/16)
C:天平の丘公園
 自然林と、多くの史跡のある公園。園内にはヤエザクラを中心に約450本の桜が植えられ、各地の有名な桜の実生苗から育った花も楽しむことができる。
 約100年前のカラクリ水車を西方町から移築・保存、また風土記の丘資料館や民俗資料館などの文化施設もある。

カラクリ水車

民俗資料館
D:オトカ塚古墳
 天平の丘公園の中に所在し、前方部を南に向けた帆立貝形の前方後円墳である。墓道から出土した土器などから6世紀の後半に築造されたと考えられている。

D:伝紫式部の墓
 京都の朝廷に仕えていた紫式部の墓がなぜ下野(栃木県)に……
 この塔は五輪の塔で鎌倉時代の様式であり、この地方の豪族が供養塔として建立したものらしい。はじめ姿川沿いにあったものを、明治初期にここに移され、この付近が「紫」という地名であったことから「紫式部の墓」と言われるようになったそうだ。

天平の丘公園子宝橋(オトカ古墳への橋)

オトカ古墳

紫式部の墓

琵琶塚古墳墳丘全景(右に後円部、左奥に前方部)
○:琵琶塚古墳
 栃木県南部、思川・姿川に挟まれた台地上に築かれた古墳である。墳丘の築造では、自然の土ぶくれを利用して設けられた基壇の上に、2段で土盛りがなされている。築造時期については、古墳の形状や出土埴輪から6世紀初頭とされる。1926年大正15年(1928)、国の史跡に指定されている。平成25年度から発掘調査が実施されている。

琵琶塚古墳南西側面

後円部墳頂の祠
E:摩利支天塚古墳

  栃木県南部、思川・姿川に挟まれた台地上に築かれた古墳である。墳丘は自然の微高地を利用して築かれており築造時期は5世紀末とされる。昭和53年(1978)、国の史跡に指定された。

摩利支天塚古墳後円部側より

前方部登り口

後円部墳頂の摩利支天社

ゆうゆう館・天平の湯
F:天平の湯

  「天平乃湯」は、一定の温泉成分を含んでいる温泉の素(入浴剤)を使用した人工温泉で、温浴効果を高め、疲労回復、冷え性等の効能が得られるそうだ。一般入浴料300円。
G:金井神社(かねいじんじゃ)

  国土開拓の祖神である磐裂命、根裂命をお祀りしている。往古は金井村字余又の地にあったが宝暦四年(1754)、現在地に遷座し、小金井宿本陣隣りの鎮守として発展した。

金井神社

慈眼寺 山門
G:慈眼寺(じげんじ)
 寺伝によれば建久七年(1196)、新田義兼の開基で新田一族の祈願所として建立され、厄除の観世音として知られているが、明治初年の災火で観音堂・鐘楼堂を残し堂宇はすべて焼失している。
 寺は国道4号線沿いにあり、山門を入ると弘法大師作と伝える千手観世音を奉安する江戸時代の三間四面朱塗りの観音堂、右手には総欅造り入母屋袴ごし付き棟まで約十一メートルある江戸時代建立の鐘楼堂がある。広い境内の奥に昭和五十二年(1977)再建の入母屋鉄筋コンクリート造り瓦葺の本堂がある。

慈眼寺 千手観音堂(2016/4/16)

慈眼寺 鐘楼堂

慈眼寺 本堂

慈眼寺 境内(左:観音堂、右:鐘楼、中:本堂))
H:小金井一里塚

  一里塚は、徳川家康が慶長九年(1604)に江戸日本橋を起点に、東海道・中山道及び北陸道につくらせ、後に全国に広まったいわれている。道程の目印として一里ごとに塚を築き、榎や松を植えたもので、一片約9mの方形に築かれている。
  小金井一里塚は、江戸時代の五街道のひとつである日光街道沿いにつくられ、江戸日本橋から22里の地点にある。二つの塚がほぼ完存していることなどから、日光道中で唯一国指定史跡に指定されている。 

小金井一里塚