まちの駅「思季彩館」スタート・ゴール地点 小山市まちの駅では「おやまブランド」をはじめ、地元産の農産物や、地元生産の商品の販売、及び、観光情報の案内をしている。 |
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まちの駅「思季彩館」 |
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須賀神社参道 |
@:須賀神社 天慶三年(940)、京都の八坂神社(祇園社)から勧請して創祀した。平治年間(1159〜1160)、小山城築城に際し、城の鎮守として現在地に移った。以来、小山66郷の総鎮守と仰がれる。 慶長五年(1600)徳川家康は小山評定後、関ヶ原の戦勝祈願を須賀神社で行った。 境内には、小山の伝説で有名な「七ツ石(夜泣き石)」や藤原秀郷公碑、小山朝政公碑、天狗党に参画した昌木晴雄翁碑、筆塚などがあり、神域の須賀の森には、杉、桧、欅、樫、椿、銀杏等が生い茂り、多くの野鳥が棲息しているそうだ。 |
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須賀神社本殿 |
須賀神社御神木 |
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@:須賀神社石造鳥居 承応二年(1653)、小山町の旦那衆によって建立されたこの鳥居は、小山市に現存する最古の石造鳥居であり、県内では指定文化財となっている日光東照宮の四基の鳥居に次ぐ古さを誇る、近世前期の貴重な鳥居である。 |
石造鳥居 |
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妙建寺山門 |
A:妙建寺 妙建寺は日蓮宗の寺院で建武元年(1334)開基。享保二年(1717)、竣工という本堂の格天井には、55枚の百人一首の絵が碁盤目状に描かれている。本堂は再建以来一度も火災に見舞われていないため、現在も綺麗な状態で百人一首の絵が残されている。眼病平癒にご利益のある日朝聖人がお祀りされている。 |
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B:長福城址 長福城の築城時期は明らかではないが、数多い思川周辺の城の中でも最重要拠点である祗園城と鷲城のほぼ真ん中に位置しておりそれぞれ700mほどしか離れておらずその重要さが推測できる。現在は、土塁と堀の一部があるのみで、その南側の小さな公園に「長福城跡」の石碑が建っている。 |
長福城址碑、バックは土塁の一部 |
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西林寺山門 |
C:西林寺 西林寺は貞永元年(1232)創建の浄土真宗本願寺派の寺院である。思川の東岸ににあり、中世から近世にかけて付近に船着場があった。浄土真宗の寺院にはこのように交通の要所に建てられている例が多く見られ、商人などからの信仰を集めていた。 |
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D:鷲神社(鷲城跡) 鷲城の築城年代は不明。鎌倉時代以来下野国の守護に任じられた小山氏は、中世を通じて下野国最大の豪族であった。鷲城は中久喜城、祇園城とならび、小山氏の主要な居城であるとともに、康暦二年(1380)に起こった小山義政の乱において本城としての役割を果たしている。 城跡は、中久喜城跡、祇園城跡とともに「小山氏城跡」として、国の史跡に指定されている。今日櫓台、土塁、堀の痕跡が残っている。本丸には鷲神社がある。外城は宅地化され、小山総合公園が隣接している。 |
鷲神社参道 |
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鷲神社本殿(鷲城跡) |
鷲城跡の土塁中を小山総合公園に向かう路 |
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鷲城跡の土塁を抜け小山総合公園に出る |
E:小山総合公園 小山市のほぼ中央に位置する小山市外城にある思川に隣接してる総合公園。広い芝生公園、その周囲を変り種自転車などを借りてサイクリングをすることも出来る。大型遊具も多く、体育館や温水プールなどのスポーツ施設も整備されている。 |
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小山総合公園の思川桜並木 |
小山総合公園隣接の思川堤防の桜並木 |
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○:思川(おもいがわ) 西林寺まで戻り思川に出る。思川は、栃木県鹿沼市の足尾山地地蔵岳の東麓を源流とし、栃木県中西部を西から南へと流れ渡良瀬遊水地に流入する利根川水系渡良瀬川支流の一級河川である。 F:小山政光・寒川尼像 思川のほとりに立つ小山の礎を築いた小山政光とその妻寒川尼のです。寒川尼は源頼朝の乳母を務めたそうだ。 |
西林寺から思川に出る |
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思川堤防名残の桜並木 |
思川に向かって立つ小山政光・寒川尼象 |
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思川アプローチの思川桜並木(2015/4/9) |
G思川アプローチ 小山市のシンボル清流・思川に架かる観晃橋東詰の堤防に、思川の名を冠した市の花「思川桜」が植樹されている。「思川桜」は1954年小山で発見され、2001年からの桜の里親制度により今では、2500本以上の思川桜が小山市に春の訪れを告げている。 H思川桜堤(白鴎大側) 観晃橋西詰堤防、白鴎大学前の桜並木。 |
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観晃橋より思川下流を望む |
白鴎大学前の桜並木 |
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I:城山公園(祇園城跡) かつて、小山祇園城があった、思川を望む高台にある公園。小山城は久安四年(1148)、小山政光によって築かれたとの伝承がある。地元では主に祇園城と呼ばれ城跡は、祇園城跡の名称で中久喜城跡、鷲城跡とともに小山氏城跡として、国の史跡に指定されている。 |
本丸曲輪に架かる祇園橋 |
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曲輪間の空堀 |
祇園橋を空堀から見上げる |
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城山公園の大公孫樹 |
I:城山公園の大公孫樹 この公孫樹について、享和三年(1803)に書かれた旅行記などに古木としての記録があり、200年前に既に古木だったことが伝えられている。 祇園城落城の際、古井戸に身を投げて亡くなった姫君の霊が、かたわらの公孫樹に宿り、実を結ぶことが無いとの伝説もあるとのこと。 J:小山御殿広場 小山御殿は、徳川将軍家の日光社参の際の休憩所、宿泊所として設けられた。慶長五年(1600)、関ヶ原の戦い前に行われた、小山評定の吉例にならったものといわれている。小山評定跡の石碑は、小山市役所前にある。 |
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小山御殿広場(左端に小山市役所) |
小山評定跡碑(右端に小山市役所) |
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