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鎌倉駅東口 |
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@:宇賀福神社 境内洞窟にある清水で硬貨などを洗うと増えると伝えられていることから、銭洗弁財天の名で知られる。 文治元年(1185) 源頼朝が佐助ヶ谷の岩壁に湧く霊水を見つけ、そこに洞を穿ち社を建てて宇賀神を祀った。正嘉元年(1257)北条時頼がこの霊水で銭を洗って一族繁栄を祈ったのが銭洗の始まりだといわれる。 |
宇賀福神社(トンネルの先) |
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宇賀福神社境内 |
銭洗い |
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佐助稲荷神社参道 |
A:佐助稲荷神社 伝説によれば、源頼朝に平家打倒の挙兵をうながしたのが佐助稲荷の神様。頼朝は宿敵 平家を滅ぼしたあと、お礼として建立したのが佐助稲荷神社。頼朝を歴史の大立て者に押し上げたことから、出世運・仕事運をアップさせる神様とされている。 「佐助稲荷」の名前は「兵衛佐(ひょうえのすけ)」という官位から「佐殿(すけどの)」と呼ばれていた、頼朝を助けたことに由来する。 境内のあちこちに置かれている白い陶器製のキツネは、願い事を込めて、信者が奉納したもの。「宝珠」を口にくわえたキツネと、「祝詞(のりと)」をくわえたキツネの二体で一組。 |
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佐助稲荷神社拝殿 |
御塚(石塚):社建立以前の佐助稲荷最古の祭場 |
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B:長谷寺 長谷寺の創建は奈良時代とされているが、創建の正確な時期や経緯については解明されていない。境内は四季折々の花木に彩られた回遊式庭園となっている。 C:鎌倉文学館 長谷寺の創建は奈良時代とされているが、創建の正確な時期や経緯については解明されていない。境内は四季折々の花木に彩られた回遊式庭園となっている。 |
長谷寺山門 |
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鎌倉文学館への道 |
鎌倉文学館入口 |
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由比ヶ浜六地蔵 |
○:由比ヶ浜六地蔵尊 長谷寺を後に由比ヶ浜通りを鎌倉駅に向かう途中に六地蔵が安置されている。かつて付近には刑場があり、罪人の霊を弔うために人々が地蔵を祀ったのが六地蔵の始まりだという。六地蔵の東側からは江戸時代の人骨が多く出土しているという。 D:小町通り 六地蔵からスタート地点の鎌倉駅東口に戻り、小町通りを北上する。小町通りは、若宮大路と並行に走る通りで、約250店舗の多種多様なお店が軒を並べる鎌倉の代表的な観光スポットである。 E:若宮大路 鶴岡八幡宮への参道でもある鎌倉のメインストリートである。 |
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小町通り入口 |
若宮大路 |
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F:鶴岡八幡宮 武家源氏、鎌倉武士の守護神。鎌倉初代将軍源頼朝ゆかりの神社として全国の八幡社の中では知名度が高く、三大八幡宮の一社(他二社:大分の宇佐神宮、京都の石清水八幡宮)に入る。 境内には「源平池」として、北条政子が掘らせたと伝わる池がある。また、源実朝殺害伝説がある樹齢800年とも1000年余ともいわれた“隠れ銀杏”が生えていたが、6年前(2010年)強風のために銀杏は根元から倒れてしまった。 |
本宮(左奥)と舞殿 |
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源平池 |
隠れ銀杏 |
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建長寺天下門 |
G:建長寺 鎌倉時代の建長五年(1253)創建、鎌倉時代の建長五年(1253)創建、鎌倉幕府第五代執権北条時頼によって建立され、境内は国の史跡や文化財に指定されており、樹齢750年を越える柏槇もある。 |
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建長寺総門より三門(中央奥) |
樹齢750年を越える柏槇 |
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H:東慶寺 かつては“駆込み寺”“縁切り寺”とも呼ばれ、女性を救済するための尼寺で、東慶寺で24か月在寺すれば離縁できるという“縁切寺法”があった。 I:円覚寺 かつては“駆込み寺”“縁切り寺”とも呼ばれ、女性を救済するための尼寺で、東慶寺で24か月在寺すれば離縁できるという“縁切寺法”があった。 |
東慶寺山門 |
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北鎌倉駅 |
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