葛飾北斎ゆかりの地すみだをを巡る

シリーズ  駅からハイキング  前   
コース名  葛飾北斎ゆかりの地すみだをを巡る
歩行日(期間)  2015年10月23日
起点/終点駅  JR総武線 両国駅/錦糸町駅
費 用  大宮駅〜両国駅:¥550
歩行距離  10Km
歩行時間  3時間30分
@:両国といえば大相撲

  江戸の相撲興行が回向院を常設場所とするのは天保四年(1833)。開催は春と秋で、小屋がけだった。次第に両国の代名詞となっていった大相撲の最初の殿堂は、明治四十二年(1909)に造られた旧国技館だった。そして戦後の蔵前国技館を経て、昭和五十九年(1984)現在の新国技館が完成。大相撲は両国に戻った。

国技館

通りに面した力士像

力士の手形モニュメント

江島杉山神社
A江島杉山神社

 江島杉山神社は、盲目の鍼灸師杉山検校が元禄六年(1693) 当地に屋敷地を拝領、彼が修業した江の島の弁天岩窟を模して屋敷内に創建した。明治時代に、江の島弁財天を祀った江島神社と杉山検校を祀った杉山神社とを合祀して江島杉山神社となった。
B:両国公園
 両国公園は、住宅街の中の遊具がある児童公園である。勝海舟の父方の実家の跡地で、公園内に海舟生誕の地の碑が立っている。

C:緑町公園
  緑町公園は、墨田区亀沢北斎通りに面しておりスカイツリーを間近に仰ぎ見ることが出来る。園内には滑り台、ブランコ、砂場といった遊具のほか、ピラミッドを模したような大きな三角形のネットツリー遊具がある。 

両国公園

両国公園 勝海舟生誕地碑

緑町公園ネットツリー遊具

江戸東京博物館
D:江戸東京博物館

  JR両国駅から徒歩3分、国技館の隣に位置する。失われていく江戸、東京の歴史と文化に関わる資料を収集、保存、展示することを目的に平成五年(1993)開館した。
 
 常設展示室 江戸ゾーンには原寸の日本橋や中村座の模型、長屋の大型模型などの展示物が設置されている。
 東京ゾーンでは明治維新、文明開化、関東大震災、東京大空襲などの展示がある。

原寸の日本橋模型

江戸下町模型
E:旧安田庭園

 安政年間(1854〜60)に大名屋敷の中に隅田川の水を引いて潮入回遊式庭園として築庭された。心字池を中心に樹木がよく茂り、かつて隅田川から引いていた水も現在は地下に水槽を造り、人工的に干満を行い、潮入りを再現したとのこと。
 明治二四年(1891)に安田財閥の創始者・安田善次郎の所有となり、その遺志により当時の東京市に寄付された。現在の庭園の名前はここから来ている。

旧安田庭園(左後ろはドーム屋根の両国公会堂)

隅田川テラス
F:隅田川テラス(遊歩道)
 隅田川テラスは、隅田川両岸に沿って整備された親水テラスの総称である。治水上の高水敷にあたる部分をテラス化したもので、舗装や緑化が施されることによって平時には憩いの場、散策路など、公園としての役割が与えられている。

○:勝海舟像
  勝海舟は、文政六年(1823)江戸本所亀沢町(両国4丁目)で生まれた。日本海軍の楚を築いたり、西郷隆盛との交渉で、江戸城の無血開城を成し遂げるなど幕末の英雄である。墨田区役所脇に立っている。

○:本コースポイントには含まれない(以下同じ)

蔵前橋

勝海舟像

言問橋

駒形橋
○:枕橋

 枕橋は当時、堀留となっていた源森川に架かる橋で“鬼平犯科帳”では源森橋とう名で出てくる。その北隣の小梅橋と対になると夫婦が枕を並べた様子に似ていることから枕橋と呼ばれた。
 “鬼平犯科帳”では、枕橋の北詰にある蕎麦屋が数多く登場する。



    枕橋北詰の東武スカイツリーラインのガード下の茶や

枕橋から見るスカイツリー

墨田公園
G:隅田公園

 隅田公園は、隅田川沿いにある公園で、右岸の台東区浅草・花川戸と左岸の墨田区向島にまたがる。約700本の桜があり、日本さくら名所百選に選定されていてる。約1キロに渡る隅田川両岸の桜並木は、八代将軍徳川吉宗のはからいにより植えられた。江戸時代より花見シーズには多くの出店が列び賑わう。

隅田川テラス:右は墨田公園、遠方に言問橋

隅田川テラス:遠方に桜橋
H:桜橋
 1985年に完成した隅田川唯一の歩行者専用橋で、両岸の隅田公園を結ぶ園路の役割を持つ。形状は平面のX字形の特異な形をしている。

○:長命寺の桜餅
 創業者山本新六が享保二年(1717)に土手の桜の葉を樽の中に塩漬けにして試みに桜もちというものを考案し、向島の名跡・長命寺の門前にて売り始めた。その頃より桜の名所であった隅田堤は花見時には多くの人々が集い桜もちが大いに喜ばれた。これが江戸に於ける桜もちの始まりである。

X字形の桜橋

山本や:長命寺桜もち

長命寺

弘福寺山門
○:弘福寺

 延宝元年(1673)開山、江戸時代には鳥取藩池田氏の菩提寺であった。関東大震災で罹災したが、昭和八年(1933)に再建された。風邪除けの信仰を集める咳の爺婆尊や隅田川七福神の布袋尊を祀っている。
I:三囲神社
 三囲神社の創建年代は不詳。三井家は享保年間(1716〜1735)に三囲神社を江戸における守護社と定めた。三囲神社の“囲”の文字に三井の“井”が入っているため「三井を守る」と考えられた。三井家先祖を祀る顕名霊社や三井邸から移設した三角石鳥居が境内に安置してある。
 神社境内の狛犬脇のライオン像は、三越百貨店の入り口に置かれているものと同じ像で、2009年に三越から奉納された。かつては池袋三越店頭に設置されていたものである。
 三囲神社社殿前に祀られた“お狐様”は、柔和な顔立ちで目が可愛らしい。目尻の下がった温和な表情を、ここいら辺りの職人言葉で「みめぐりのコンコンさんみてぇだ」と言ったそうである。享保二年(1802)の奉納。

三囲神社参道

三囲神社社殿、画面左に池袋三越より移設のライオン像

三囲のコンコンさん

三囲のコンコンさん

三井家先祖を祀る顕名零社

木遣音頭の碑:明治八年(1875)建立

牛嶋神社:奥の鳥居は全国でも数少ない三輪鳥居
○:牛嶋神社
 牛嶋神社は貞観二年(860)の創建。隅田川の東岸、もと水戸徳川邸跡の隅田公園に隣接している。
 5年に一度の例大祭は、鳳輦(牛車)を中心とする古式豊かな行列が向島から両国に広がる氏子の町内を2日かけて巡る。この神幸祭は、今日では珍しく黒雄和牛が神牛となり鳳輦を曳いている。

○:撫牛(青銅製)
 この牛の像は、牛御前または牛嶋という神社の名称に由来して作られたもので、文政八年(1825)ごろ奉納された。
 牛の同じところをなでると病気が治るという信仰で、体だけではなく心もなおるという心身回癒の祈願物であるす。

撫牛

言問橋東交差点より

スカイツリー駅より
J:すみだまち処

 ソラマチ5Fの“すみだ まち処”は、すみだの産業、文化、歴史、観光、グルメ情報を凝縮。ものづくりのまち、さまざまな歴史・文学の舞台であるすみだの魅力に触れることができる。

ソラマチ

釣川原ゾーン
K:大横川親水公園
 大横川の流れている一帯は付近にあった工場などからの地下水の汲み上げにより地盤沈下が激しい地域であった。これにより低い土地では川から水が溢れると浸水する危険があったため、大横川の一部を埋め立てて幅30〜40m、長さ1850mの大規模な親水公園として整備され平成五年(1993)に開園した。
 園内は北から5つのゾーンに区分され、色彩豊かな花の広場と釣堀のある釣川原ゾーン、子供たちが遊べる広場のある河童川原ゾーン、緑豊かな渓谷と多様な生物が生息するビオトープ・花紅葉ゾーン、解放感のあるイベント広場・パレットプラザゾーン、スポーツ広場であるブルーテラスゾーンがある。

河童川原ゾーン

ビオトープ・花紅葉ゾーン
○:津軽稲荷神社
 津軽稲荷神社は、墨田区錦糸にある稲荷神社、津軽藩下屋敷の屋敷神として祀られていた稲荷神を、明治四十三年(1910)に払い下げられ、錦糸町1丁目町会の守護神とした。

L:錦糸公園
  関東大震災によって壊滅的な被害を受けた東京の復興事業の一環として計画された。当地は元々は帝国陸軍の糧秣厰倉庫であったが公園として整備され、1928年に開園された。

大横川親水公園より

錦糸公園より

津軽稲荷神社

錦糸公園
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