都会の自然と下町の商店街をめぐる

シリーズ  駅からハイキング  前   
コース名  大崎・目黒周辺散策
歩行日(期間)  2015年10月15日(2015/10/5〜10/25)
起点駅  JR大崎駅
歩行距離  10Km
歩行時間  2時間30分

 大崎は、品川区の北部に位置し大崎駅を中心とした地域であり、一部を除きJR山手線の外側に位置する。本コースの大部分は品川区に属するが、目黒駅を経由し目黒区の一部を含むコースである。尚、目黒駅は、目黒区ではなく品川区上大崎に位置している。

 大都会のど真ん中にありながら原生林を思わせる豊かで広大な自然と、全長1.3Kmにわたる関東有数の長さを誇る商店街をめぐるハイキングである。

@:ねむの木の庭

 皇后陛下のご実家・旧正田邸跡地に整備された公園。皇后陛下が高校生時代に作られた詩 “ねむの木の子守歌” にちなんで命名された。
 相続税の一部として国に物納された高級住宅街の邸宅地であり、公園としてはごく狭い175坪ほどであるが四季折々の植物が植えられており、いつ訪れても楽しめるようになっている。訪ねたのは花の少ない時期だったが“バラ(プリンセス・ミチコ)”“シュウメイギク”“リンドウ”“ハマギク”“フジバカマ”など10種類程度の花が咲いていた。
 花壇には、皇后様の詠まれた和歌が数多く展示されている。それぞれの和歌をめくると詠まれた花の解説が書かれている。

ねむの木の庭

プリンセス・ミチコ(バラ)

シュウメイギク

皇后さま歌集

めくると解説

インドネシア大使館
A:池田山公園

  “ねむの木の庭”から高級住宅街を抜け、華麗なインドネシア大使館前を行くと池田山公園に出る。

  池田山公園は、岡山藩池田家下屋敷跡の奥庭の部分を整備した和風庭園である。園内には四季折々の花が植えられ、高低差を活かした池泉回遊式となっていて、高台部の休憩ゾーンから眺める景色は一見に値する。

池田山公園入口付近

高台より池を見下ろす
B:国立科学博物館附属 自然教育園

 元は400〜500年前の中世の豪族の館から始まったとされ、江戸時代には高松藩主松平頼重の下屋敷、明治時代には陸海軍の火薬庫、大正時代には宮内庁の白金御料地と歴史を重ね、通常一般の人々が中に入ることができなかったために、山手線内にありながら面積約20万uの広大でまれに見る豊かな自然が残された。
 1949年、全域が天然記念物および史跡に指定されると同時に、国立自然教育園として一般に公開されるようになった。一般的な植物園や庭園と違い、自然の移りゆくまま、できる限り自然の本来の姿に近い状態で残そうという考え方で運営され、都心にありながら原生林の雰囲気が漂っている。

自然を色濃く残す自然教育園内

下屋敷の面影を伝える“物語の老松”

大蛇の松(樹齢300年)

赤樫の巨木

誕生八幡神社のイチョウ

高福院本堂
○:誕生八幡神社のイチョウ

 自然教育園に隣接する東京都美術館前を目黒駅へと向い少し行くと八幡神社がある。文明年間(1469〜1487)、太田道灌が夫人の懐妊の際、安産を祈願し、筑前宇美八幡より勧請した。無事に男子が誕生したことから誕生八幡と呼ばれ、安産の守り神とされている。
 道路拡張で3度も移転改築されたのに伴い、社前の2本の大イチョウも移殖されたがこれによく耐え、現在も旺盛な樹勢をみせ、品川区の天然記念物に指定されている。
 神社の後ろに隣接し、誕生八幡神社のもと別当寺、御府内八十八ヶ所霊場4番札所の高福院がある。
○:は、駅ハイのコースポイントではない、以下同じ。
C:権之助坂商店街

 目黒駅ホーム上の陸橋を渡ると権之助坂商店街となる。
 権之助坂は、江戸中期の名主・菅沼権之助に因んだものである。権之助坂が開かれるまでは、江戸と目黒を結ぶ道路は急坂で、しかも回り道をしていたので、荷を運ぶ人々は大変な苦労を強いられた。権之助は、新坂を切り開きこの難儀を救ったが、封建時代の道路は、曲がりくねり、見通しは遮られるよう戦略的に造られていた。勝手に新坂を開いたということで処刑された権之助を慕う村人が、開かれたばかりの新坂に権之助の名を冠したという。現在、権之助坂はほぼ全体に権之助坂商店街が広がる繁華街となっている。

権之助坂

大鳥神社
○:大鳥神社

 大鳥神社は、東京都目黒区にある神社。かつての目黒村の鎮守。大同元年(806)、社殿が完成し、この年を大鳥神社では創建の年としている。
 室町時代の長禄の江戸図には「鳥明神」として当神社が描かれており、当時の江戸図には9つの神社しか描かれていないため、大鳥神社は江戸九社のひとつとして知られている。
D:瀧泉寺(目黒不動尊)

 龍泉寺は大同三年(808)不動明王を本尊とし開創、関東最古の不動霊場として、熊本の木原不動尊、成田山新勝寺の成田不動尊と併せて 日本三大不動の一つに上げられ、一般には目黒不動尊の通称で親しまれている。
 1615年に本堂が火災で焼失したが、1624年徳川家光によって再建され、以後徳川幕府の庇護を受け繁栄するようになった。文化・文政の時代に「江戸の三富」と呼ばれた富くじが行われまた、落語の目黒のさんまは、この近辺にあった参詣者の休息のための茶屋(爺が茶屋)が舞台だとされている。

目黒不動尊 瀧泉寺山門

林試の森公園 あかしあ門(北門)
E:林試の森公園

 ここは明治33年(1900)、農商務省林野整理局の「目黒試験苗圃」としてスタートしたのが始まり。筑波研究学園都市の建設に伴い、移転した跡地を整備し、平成元年(1989)に「都立林試の森公園」として開園した。東西700m、南北250mの細長い公園である。
 百年以上の歴史があるため幹周り3mを超える樹木が数多くある。特に、芝生広場の大きなクスノキは圧倒的だ。約60種の外国産樹木やほかの公園ではあまり見られない珍しい樹木・野草を観察できる。また、オオルリ、キビタキ、カワセミなどの野鳥も飛来するそうだ。

林試の森公園内

クスノキの巨木
F:武蔵小山商店街パルム

 全長480mの第一アーケードができた昭和31年(1956)当時は、東洋一長いアーケード商店街だった。今では拡張され、全長800m約250店舗を有する東京一長いアーケード商店街だそうだ。すぐ近くから戸越銀座商店街が始まり、長大な商圏を形成している。

武蔵小山アーケード商店街

戸越銀座商店街
G:戸越銀座商店街

 50年前に何度も歩いた戸越銀座、半世紀ぶりの再訪だが何の面影も思い起こせなかった。
 戸越銀座は品川区豊町および、戸越、平塚にまたがる戸越銀座通りに沿った商店街で、3つの商店街からなっている。
 全長約1.3kmにわたる関東有数の長さの商店街である。約400もの店舗が軒を連ねている。商店街独自の“戸越銀座ブランド”を企画開発し、数々のヒット商品も生み出している。
 メディアなどでは、日本一長い商店街であると紹介されることもあるが、実際は大阪・天神橋筋商店街の約2.6kmが最長とされる。
○:戸越公園

 50年前何度か訪れた懐かしの公園、駅からハイクのコースからは大きく外れるが立ち寄ることにする。駅ハイで配布された地図の最下方に薄らとだが戸越公園が読み取れる。
  当地一帯は江戸時代初期の寛文年間(1661〜1672)に熊本藩主・細川家の下屋敷があったところで、後に細川家の戸越屋敷として屋敷や回遊式庭園などが整備された。
 何度か所有者が変遷した後、三井家から庭園部分が東京市に寄付され1935年、戸越公園として開園した。
 半世紀を経ており、思い出すことはほとんどないが、池の周りの不粋な柵は無かったような気がする。

戸越公園の池
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