千住の歴史や文化を発見しながら歩く

シリーズ  駅からハイキング  前   
コース名  大千住街歩き
歩行日(期間)  2015年10月4日(2015/10/2〜10/12)
起点駅  JR:北千住駅
歩行距離  10.5Km
歩行時間  2時間40分

 千住は東京23区北東部の足立区にあり、隅田川と荒川に挟まれた狭い地域であるが、江戸時代から日光街道の宿場町として発展してきた。北千住駅は、JR常磐線他4路線が乗り入れるターミナル駅であり、年間5億5千万人が乗降する世界でも6番目に乗降客が多い駅となっている。

@:勝専寺(赤門寺)

 勝専寺はJR北千住駅の西300mにあり、縁起によれば文応元年(1260)創建、山門が朱塗りであることから “赤門寺” と呼ばれてきた。江戸幕府二代将軍徳川秀忠、三代将軍家光が鷹狩の際の休憩所であった。本堂に安置されている千手観音立像(非公開)は荒川の底から引き上げられ、千住の地名の由来になったといわれているそうだ。

 赤門は普段閉ざされているが、1月と7月の15・16日の閻魔詣に開放され、境内や門前に出店が並ぶそうだ。

勝専寺南門

勝専寺鐘楼と閻魔堂

勝専寺正門(赤門)

千住本氷川神社 旧社殿
○:千住本氷川神社

  素盞鳴尊(すさのおのみこと)を祭神とし、徳治二年(1307)牛田に創建され、江戸時代初期に現在地に分社を建立したといわれている。荒川放水路(現荒川)建設の際に牛田氷川神社を合祀した。昭和45年に社殿と社務所が新築され、旧社殿が登録文化財に指定された。千住七福神の大黒天が祀られている。

○:印は、駅からハイクのコースポイントではない。
以下同じ

千寿七福神 大黒天

千住本氷川神社新社殿( 昭和45年建立)
A:安養院(かんかん地蔵)

 鎌倉時代に千住元町で創建したと伝わる。慶長三年(1598)、戦火にあい現在地に移転した。境内には“かんかん地蔵”と“仲直し地蔵”が並んで祀られている。
 “かんかん地蔵尊”を小石で叩くとかんかんと音がし、叩いた石で地蔵のかけらが落ちる、それを財布に入れて置くと願い事が叶うと伝えられている。多くの参拝者に打たれ続けたお地蔵さん、頭から胸にかけて剥ぎ取られ摩滅している。
 他に境内には樹齢500年のくろまつや芭蕉の句碑があり
 「ゆく春や鳥なき魚の目は泪」と彫られている。

安養院本堂

かんかん地蔵(左)と仲直し地蔵(右2体)

樹齢500年の黒松

芭蕉句碑

名倉医院
○:千住名倉医院

 名倉医院は江戸時代以来、骨つぎといえば名倉、名倉といえば骨つぎの代名詞になるほど、関東一円に知られた医療機関であった。門前の広場は、駕籠や車で運ばれてくる骨折患者でひしめいたいたという。
 現在、江戸時代から昭和中期まで盛業時の医院の建物が保存され足立区の史跡として登録されている。
B:虹の広場

 荒川沿いの河川敷を歩いていると、印象的な虹の模様が描かれているのを発見できる。ここは、タイルと色とりどりの花が、互い違いに虹のように並べられている「虹の広場」。 荒川千住新橋緑地の中に設けられているスペースだ。水際は誰もが近寄りやすい階段型護岸が整備されていて、人々の憩いの場となっている。

荒川河川敷 虹の広場

荒川の堤防から氷川神社を見る
C:千住大川町氷川神社(富士塚)

 永仁年間(1293〜1299)の創建で氷川、八幡、稲荷、浅間の4社からなり、安養院はその別当寺だった。境内には高さ約3mの千住川田浅間神社富士塚や旧千住新橋の橋脚が保存されている。また、かつてこの一帯で製紙が盛んだったことから“紙すき碑”がある。

千住大川町氷川神社

千住川田浅間神社富士塚
D:元宿堀記念碑社

  伝統的な寺社建築である二重千鳥破風屋根の銭湯“緑湯”の少し先に元宿堀記念碑がある。この一帯は江戸時代に荒川につながる水路 “元宿堀” があった場所。葛飾北斎の“富嶽三十六景武州千住”はこの辺りから描かれたと推測され、それを解説するモニュメントがある。

 記念碑に隣接して宝暦四年 (1755) 創立の元宿堰稲荷神社が鎮座している。

銭湯 “緑湯”

元宿堀記念碑社

元宿堰稲荷神社

千住神社参道
E:千住神社(富士塚)

 延長四年(926)創始。奥州遠征の際、源義家が戦勝を祈願したと伝えられている。

 境内にある富士塚は足立区の登録有形民俗文化財。戦国時代から江戸時代初期より始まった富士山登山信仰・富士講は、関東を中心に広く信仰を集め、江戸末期には「江戸八百八講」と言われるほどであった。現在でも富士山開きの七月一日のみ、登山参拝ができるとのこと。
 

千住神社社殿

富士塚
F:矢立初の芭蕉像

 隅田川に架かる千住大橋の辺りは、江戸を発った松尾芭蕉が船を降り「奥の細道」600里へと歩き始めた地。句を詠む姿を象った芭蕉の石像が立っている。

 “行く春や鳥啼き魚の目は涙”
この句を旅の最初の句として、旅の第一歩を踏み出した。

芭蕉石像

やっちゃば緑道
○:やっちゃば緑道

 千住の青物市場の起源は古く天正(1573〜1592)の頃にさかのぼる。江戸中期以降は、神田・駒込とならぶ江戸三大市場であった。
 往時、旧日光街道に面した千住河原町かいわいは、「やっちゃやっちゃ」のセリのかけ声で賑わっていたという。
 この緑道は、市場が東京市に移管された後、建設された引込鉄道の跡地を整備したものである。
G:柳原千草園

 柳原千草園は、隅田川と荒川に挟まれた位置にある足立区立の公園。製糸工場の跡地を区が買い取り、平成元年に開園。園内は「春の広場」「夏の庭」「秋・冬の山」に分けられ、それぞれの季節の植物が楽しめる東屋も設置された日本庭園風な公園になっている。

柳原千草園

柳原稲荷神社
H:柳原稲荷神社

 慶長四年(1599)創祀、徳川家康が江戸城の鬼門除けとして創建させたと伝えられる。そのため、現在も社殿は東北(鬼門)の方角を向いている。天明六年(1786)洪水で流失したが、寛政六年(1794)に再建された。

 昭和八年(1933)、柳原富士講により浅間神社が勧請され、富士山から貨車で運搬した熔岩や丸石を配して富士塚が築造された。現在、足立区の登録有形民族文化財となっている。

柳原稲荷神社 拝殿

柳原稲荷神社 富士塚
I:甲良屋敷跡

 江戸幕府に仕え、江戸城や日光東照宮などの建築物の造営に関与した工匠・甲良家の屋敷跡。千寿常東小学校前に碑が立っている。

千寿常東小学校前の甲良屋敷跡碑
 
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